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完治された方の体験談ではなく現在も治療を続けている方の体験談です。

うつ病という病気としっかり向き合い治療をされている女性の体験談です。

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うつ病の原因は機能不全家族

私がうつ病を発症したのは6年前の夏でした。

当時の私はうつ病に関しての知識も乏しく、「心を強く持っていれば大丈夫だ。だから、好きな仕事をして充実している私がなるはずはない」と思っていました。

しかし、当時はとても忙しくてほとんど休みが取れませんでした。

そして、21連勤という激務を終えた頃、突然何かがパーンと弾けた感じがしました。

すごく疲れているはずなのに一睡もできなくなり、食欲も失せ、みるみるうちにやつれてしまったのです。

そんな私を心配した上司の勧めで心療内科を受診し、「抑うつ状態(=うつ病)」と診断されました。

私の病気の原因は定かではありませんが、自分では長年にわたる家族との不仲が大きなウエイトを占めていると考えています。

我が家はいわゆる「機能不全家族」で、特に母親が典型的な「毒親」です。

頼りにしていた父親は私が高校1年の時に突然家出し、それ以来生活費は入れてくれるのですが、一緒には住んでいません。

専業主婦の母は働かないくせに四六時中、「(父の)持ってくるお金が少ない」「あんた達(兄と私)がいなければ離婚できるのに」と言う人でした。

兄も母に似て被害妄想が強く、高校卒業後およそ17年間職歴なしのニートです。

私は地元の大学に進学しましたが、そんな生活に嫌気が差して、就職を機に実家を出ました。

入退院を繰り返す日々

ただ、一人暮らしを始めても私の心の中にはいつも葛藤がありました。

今は母と兄の生活費は父が出してくれていますが、父も高齢で数年後には仕事を辞めると言っています。

そうなったら、あの二人が私に自分達の面倒を見るように迫ってくるのは必至です。

うつを発症した頃、私はずっと「親と兄弟だからいずれは私が世話をしないといけないんだ」「でも、自分は働かないくせに文句を言う人達のためにお金なんか渡したくない。同居なんて耐えられない」という思いが常にぐるぐると頭を駆け巡っていました。

それが激務でのストレスと重なり、急に襲ってきたのが始まりでした。

それでも、発症してしばらくは同じ部署で、少し負担を減らしてもらいながら働いていました。

幸いにも職場の人達はとても親切で、いつも私の体調を気遣ってくれました。

今でも心配してくれて連絡を取ってくれる人が何人もいます。

会社側も、忙しい外勤の部署から内勤へ異動させてくれたり、「入院中の病院から通勤する」という特例を認めてくれたり、本当にできる限りの手を尽くしてくれました。

会社の人には本当に今でも感謝しています。

病気のことを両親に電話で話したのは、発症した年の冬に差し掛かる頃でした。

父は「どうして私が働かないお母さんとお兄ちゃんの面倒を見なきゃいけないの?もう嫌だ」と泣き叫ぶ私に、家を出た理由を初めて教えてくれました。

そして「お前には悪かったと思っている。ただ、僕はお前の父親になれたことが嬉しかった。もうお前はお母さん達のことは考えないで自分の人生を歩きなさい」と言いました。

電話の向こうで父も泣いているのが分かりました。

一方、母は頼み事があって私に電話を掛けてきたのですが、私の病気を知っても自分の依頼を受けるよう強制するだけでした。

その時に本当にこの人は私を産んだ親なのだろうかと疑問を持ち、もう縁を切ろうと真剣に思いました。

6年経った今でも、母からは「大丈夫?」という一言すら掛けてもらっていません。

病気は徐々にですが、私から気力も体力も奪っていきました。

昔は「趣味は仕事です!」と言えるほど打ち込んでいた好きなことが全然できなくなりました。

それどころか、起床、食事、入浴、歯磨きといった普通の人が意識せずともできることをするのに、ものすごくエネルギーを消耗するようになりました。

「ただ外へ出る」ということが、私には10メートルの壁を素手でよじ登るくらいに高いハードルに感じられました。

日々の生活に支障が出るため、入院や休職も何度もしました。

休職中はリワーク専門のデイケアに通っていたのですが、朝起きることができないためにほとんど休んでいました。

入院も一時的には良くなるのですが、退院するとまたぶり返すという状態が続きました。

辛かったのはそれだけではありません。

私はうつ発症前は150センチ・45キロだったのに、なんと約2年で80キロになってしまったのです。

酷い時は頭痛や吐き気止めなどの頓服も含めて、1日に15種類、約20錠の薬を飲んでいました。

その中には食欲が増進してしまう副作用のある薬も含まれており、またストレスで過食に走ったことも原因で、自分でも信じられないほど太ってしまいました。

痩せたくても、「急な運動は心臓や膝に負担がかかるから止めなさい」とドクターストップがかかっていました。

その間も、念願かなって就いた仕事は辞めたくなくて続けていましたが、結局は昨年7月に退職しました。

半年間休職して復職させてもらったのですが、もう限界でした。

薬の副作用が強くて毎朝吐いていたし、そもそも体が全く動かない状態になっていました。

その頃は自殺願望が非常に強く、「目覚めたら心臓が止まっていたらいいのに」「もうこんなに辛いなら消えてなくなりたい」と数時間おきに思っていた記憶があります。

会社を辞めてもそれは変わらず、11月初旬まではほとんど引きこもりでした。

そんな私が少しだけ「うつ抜け」できたのは、皮肉にも薬を飲まなくなったことが原因です。

薬を飲まなくなった事で改善に向かった

引きこもりになっていた間はしんどくて病院にも行けず、薬のストックがなくなってしまったのです。

仕事を続けるために大量の薬に依存していた面が強かったので、「もう会社は辞めたから副作用の強い薬は飲みたくない」と痛感したのです。

11月になって2カ月ぶりに病院に行き、主治医にそれを伝えて抗うつ薬の類は飲まなくなりました。

ちなみに、本当は医師と相談しながら薬を徐々に減らさないといけないので、私のこの方法は絶対にお勧めできません

11月の終わり頃からは少しずつ体調も良くなって、短期のアルバイトができるようになりました。

今はまだちゃんとフルタイムで働けませんが、2~3年後をめどに母の知らない県外で再就職するという新たな目標もできました。

ちなみに母と兄には退職したことは未だに言っていません。

また、今年に入って自炊を始めたことも体調の改善にかなり繋がりました。

収入が減ったので節約したいということと、それでも健康的に痩せたいということを重ねて考えた結果、自炊をするという結論に至りました。

今はだいたい1日1~2品を作って、野菜を中心としたご飯を食べています。

ダイエットは在職中から始めてはいましたが、1年4カ月で30キロの減量に成功しました。

1年前の写真と今の写真を見ても、自分でも同一人物だという実感が湧きません。

うつ病や人生についての考え方もだいぶ変わりました。

昔は病気に対する偏見がありましたが、「いつ誰がなってもおかしくない病気なんだ」と思えるようになりました。

ただし、いわゆる「心の風邪」というキャッチコピーには反対で、「心の末期ガン」くらいだと感じます。

また、発症するまでは完璧主義な人間で、人に弱みを見せるのが嫌で強くありたいとずっと思っていました。

でも、「辛い時は人に相談していいし、そういう場所も聞いてくれる人もたくさんいる。しんどい時は逃げてもいい」ということが分かりました。

退職のあいさつをした上司には「君はまだ若い。2~3年休んで寄り道したって大丈夫だよ」と言ってもらいました。

だから、今は体調を第一に無理せず、頼れるところは人に頼って生きています。

そして、自分が治った時はその分のお返しを社会や周りの人にしたいと思っています。

今、思う事

うつ病は特別な病気でも、治らない病気でもありません。

私はまだ寛解(いわゆる完治)には至っていませんが、徐々に良くなっている実感があります。

今は睡眠薬と軽い抗うつ薬だけ、4種類飲んでいます。

でも、早く薬をゼロにしたいし、ちゃんと働けるようになりたいです。

早く元気になって、「再就職できました!」と前の会社の人に報告することが一番の恩返しになるかなと思っているからです。

確かに寛解までは時間がかかります。

特に私は難治性らしいので、あと数年かかるかもしれません。

でも、気分や体調の良し悪しの波がだんだん穏やかになっている気がするので、回復に向かっていると信じています。

同じうつ病患者さんには「日日薬(ひにちぐすり)」という言葉を教えてもらいました。

月日の経過が薬の代わりになるということだそうです。

だから、今は休みながらも、半歩でも前へ進んでいきたいです。

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